オモイダシワライ

slowpoke.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:ドキュメンタリー( 5 )

昔話、再び

そもそも祖父が旧満州へ一家を連れて行った理由がわかって来た。
当時教師をしていたのだが、旧満州に行けば給料が日本の倍くらい。
養子なおかつ分家所帯の主人として、祖父はさぞ肩身が狭かったのだろう。
ここで一旗揚げようと思ったにちがいないということだ。
まさか戦争が始まるなんて夢にも思わず。
人間の運命とはわからないものだ。
終戦1年後に無事に一家(旧満州で亡くなった父の弟を除く)は帰国できたわけだが、
実は預金も何もかも没収されていたそうで、着の身着のまま故郷に帰りついた時、
玄関先で、げっそりやつれた祖母と乳飲み子(叔父)をおぶった10歳の父が
呆然と立ち尽くす様は(親戚の話による)想像するだけで涙が出そうだ。


More
[PR]
by kamedenbar | 2007-05-13 22:56 | ドキュメンタリー

そして昔話

終戦の翌年・昭和21年(1946年)春、一家は引き揚げ船で帰国した。
10歳半の父は生まれたばかりのを背負い、
錦洲〜大連までを汽車で移動し、
大連〜下関までの2日間、船に乗った。
着の身着のままではなかったようだが、
おそらくそれに近い状況だったと推察する。
もう1人満州で生まれた弟がいたが
栄養失調でわずか2歳で亡くなっていた。
お骨を持って帰ることは出来なかったそうだ。

日本が所有していた船の大半は沈没してしまっていたので、
小さな船にたくさんの人が乗っていたのだと思う。
一家には、船底に近い船室が割り当てられたそうだ。
父は日本までの2日間、甲板などで遊んで過ごしたと言った。

戦後の混乱の中、日本での生活が始まった。
[PR]
by kamedenbar | 2005-10-14 23:04 | ドキュメンタリー

紅雀にまつわる話

祖父のことを書き出してふと思い出したことがある。
あれはいつだったか、私が小学5年くらいだったか。

小さな四角い鳥かごに、つがいで紅雀を飼っていた。
鳴き声がきれいで、結構長生きしていたと思う。
1度卵を生んだが育てる習性がないので、
ポトっと鳥かごの底に落として知らんぷり。
あっけなく卵は死んでしまった。
野生は確か他の鳥の巣に生むと聞いた。

話はそれたが、ある夏の夕方の出来事。
紅雀が庭の軒先きで尋常じゃない様子でバタバタと騒いでいた。
見ると鳥かごにヤマカガシのこども(じゃないかと今思うのだが)
黒っぽい体長30センチくらいの細い蛇が巻きついていた。
そして、クヮーッと口を開けて今にも紅雀を
食らわんとしていたのである。
その時、家には祖父と私しかおらず
「おじーちゃんっ!」と慌てて助けを求めた。
祖父は「なーに、大丈夫じゃ」みたいなことを言って、
炭バサミのようなものでつまんで裏山(※)に捨てて来てくれた。
(※)寺が所有する土地で造成されていない草むらの丘。

あの時のじーちゃん、格好良かったなー。
[PR]
by kamedenbar | 2005-10-12 21:45 | ドキュメンタリー

されど昔話

昭和16年(1941年)父6歳、祖父31歳、祖母26歳の時に
大平洋戦争がはじまった。
その頃一家は錦洲に住んでいてた。
比較的治安が良く、住みやすい地域だったそうだ。
当時、日本が敗戦するとは思いもよらず
危機感はなかったと言う。

ところが次第に日本の戦況は悪化し、帰国は困難になった。
やがて祖父は軍隊に召集された。
教師だったことが(おそらく年齢も)幸いして徴兵の時期が遅く、
また入隊直後の昭和20年(1945年)、終戦となり部隊は即解散。
祖父は無事に家族のもとへ帰ることができた。

More
[PR]
by kamedenbar | 2005-10-10 17:45 | ドキュメンタリー

もはや昔話

先月の話にさかのぼる。
お彼岸を過ぎた9月26日、実家の両親に誘われて
久しぶりに祖父母の墓参りに行った。

同じ頃「昭和史」にふれる機会があって、
なぜかとても旧満州の話を詳しく知りたかった。
生前の祖父母の話と父の記憶をもとに、
私なりに一家の歴史をまとめてみることにする。

More
[PR]
by kamedenbar | 2005-10-10 11:25 | ドキュメンタリー