オモイダシワライ

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進む空洞化現象

ただいま歯医者から戻って来ました。
先生になぜ欠けたのか訪ねた所、
貝殻のように空洞になっていて衝撃で欠けると言われました。
虫歯じゃなくただもろくなっているということだ。
ますますショック。
とりあえず止血して欠けてとがった部分を削ってもらった。
根元付近までかけたのだが、埋めてもらうことになる。
また通うことになる。
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by kamedenbar | 2005-10-29 13:25 | 健康、スポーツ

枯葉のごとく

今朝フランスパンを食べていたら、
いつもはやわらかいトーストなのだが
左上の歯に痛みを感じた。
歯と歯の間にパンのかけらが挟まったような感じ。
洗面所に行ってデンタルフロスで異物を取ったかと思いきや、

ナンテこったぁ〜!!

ポロッと歯が欠け落ちた。
口をゆすいだら出血しているではないか。
痛みはそれほどでもないのだが。
ショック。超ショック〜!!

これから歯医者に行って来ます。
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by kamedenbar | 2005-10-29 10:02 | 健康、スポーツ

やぎさんゆうびん

しろやぎさんから  おてがみついた

くろやぎさんたら  よまずにたべた

しかたがないので  おてがみかいた

さっきのてがみの  ごようじなあに



くろやぎさんから  おてがみついた

しろやぎさんたら  よまずにたべた

しかたがないので  おてがみかいた

さっきのてがみの  ごようじなあに


最初のお手紙は?
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by kamedenbar | 2005-10-24 14:35 | 考えてみたり

阿尾のおばあちゃん

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去る10月18日、母方の祖母が90歳で亡くなった。
大正4年生まれ。
明るく元気で好奇心旺盛な人だった。
写真は左上から遺影(70歳時)、家の前の海、
自慢の家、中庭の入口。
ひとつの時代が終わりを告げた。
おばあちゃん、
今までありがとう、そして安らかに。
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by kamedenbar | 2005-10-23 21:48 | 日記

あきたこまち

〈昨日の夢〉
正月、夫の実家に帰省中。
夫の姉夫婦と甥っ子達・親戚で賑わっている。

玄関に赤い晴れ着姿の美しい女性が来た。
「秋田小町です。」
風呂敷包みを差し出す。
「明太子をお持ちしました。」
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by kamedenbar | 2005-10-18 09:57 | 日記

みなしごはっち

今期からテニススクールに「はっち」の姿がない。
どこへ行ってしまったのだろう?
辞めちゃったのか?

〈昨日の夢〉
イケメンの美容師たちと合コンした。
向かい側に座ったのは、笑顔が素敵な男性。
カットの腕前に定評のある有名スタイリストだった。
(あくまで夢の中の設定)
胸・キューンとなるも束の間、
席替えで遠くへ行ってしまった。
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by kamedenbar | 2005-10-17 13:01 | 日記

そして昔話

終戦の翌年・昭和21年(1946年)春、一家は引き揚げ船で帰国した。
10歳半の父は生まれたばかりのを背負い、
錦洲〜大連までを汽車で移動し、
大連〜下関までの2日間、船に乗った。
着の身着のままではなかったようだが、
おそらくそれに近い状況だったと推察する。
もう1人満州で生まれた弟がいたが
栄養失調でわずか2歳で亡くなっていた。
お骨を持って帰ることは出来なかったそうだ。

日本が所有していた船の大半は沈没してしまっていたので、
小さな船にたくさんの人が乗っていたのだと思う。
一家には、船底に近い船室が割り当てられたそうだ。
父は日本までの2日間、甲板などで遊んで過ごしたと言った。

戦後の混乱の中、日本での生活が始まった。
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by kamedenbar | 2005-10-14 23:04 | ドキュメンタリー

ひじきご飯

会社員だった頃、よくお弁当を持参していた。
ある日、ひじきご飯を持って行った。
前日の夕飯に作った残りのひじきの煮物を
白いご飯に混ぜただけの簡単なものだ。
惣菜売り場で買うこともあるけれど、
その時は、乾燥芽ひじきを水にもどすところから作った。
人参と油揚げを加え、醤油とみりんで味付けし、ごま油で炒め煮にした。
なかなか美味しかった。

お昼の会議室。
私の弁当箱に女王蜂の目が光った。
「あら、ひじきご飯じゃない。どうやって作ったの?」
素直に手順を説明した。
彼女は、私がちゃんと作ってきたことが気に入らなかったらしい。
そして毒バリ(罵詈)をちくりと刺した。
「どうせお母さんに作って持って来てもらったんじゃないの?
 買った方がおいしいわよ。」
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by kamedenbar | 2005-10-14 22:31 | オバチャン

紅雀にまつわる話

祖父のことを書き出してふと思い出したことがある。
あれはいつだったか、私が小学5年くらいだったか。

小さな四角い鳥かごに、つがいで紅雀を飼っていた。
鳴き声がきれいで、結構長生きしていたと思う。
1度卵を生んだが育てる習性がないので、
ポトっと鳥かごの底に落として知らんぷり。
あっけなく卵は死んでしまった。
野生は確か他の鳥の巣に生むと聞いた。

話はそれたが、ある夏の夕方の出来事。
紅雀が庭の軒先きで尋常じゃない様子でバタバタと騒いでいた。
見ると鳥かごにヤマカガシのこども(じゃないかと今思うのだが)
黒っぽい体長30センチくらいの細い蛇が巻きついていた。
そして、クヮーッと口を開けて今にも紅雀を
食らわんとしていたのである。
その時、家には祖父と私しかおらず
「おじーちゃんっ!」と慌てて助けを求めた。
祖父は「なーに、大丈夫じゃ」みたいなことを言って、
炭バサミのようなものでつまんで裏山(※)に捨てて来てくれた。
(※)寺が所有する土地で造成されていない草むらの丘。

あの時のじーちゃん、格好良かったなー。
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by kamedenbar | 2005-10-12 21:45 | ドキュメンタリー

されど昔話

昭和16年(1941年)父6歳、祖父31歳、祖母26歳の時に
大平洋戦争がはじまった。
その頃一家は錦洲に住んでいてた。
比較的治安が良く、住みやすい地域だったそうだ。
当時、日本が敗戦するとは思いもよらず
危機感はなかったと言う。

ところが次第に日本の戦況は悪化し、帰国は困難になった。
やがて祖父は軍隊に召集された。
教師だったことが(おそらく年齢も)幸いして徴兵の時期が遅く、
また入隊直後の昭和20年(1945年)、終戦となり部隊は即解散。
祖父は無事に家族のもとへ帰ることができた。

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by kamedenbar | 2005-10-10 17:45 | ドキュメンタリー